バッハロ短調ミサ帯広演奏会概要

バッハ「ロ短調ミサ」全曲演奏会

日  時 2012年4月22日(日曜日)開場14:00/開演15:00(全席自由)
場  所 帯広市民文化ホール 大ホール・・・帯広市西5条南11丁目48[地図を確認する]
チケット 大人 前売り3000円/当日券3500円 学生 前売り1500円/当日券2000円
(学生は、大学生・専門学校生など、学生であれば学生価格で承ります。)
全席自由席
指  揮 作間 令子
ソリスト ソプラノ:幸田 浩子 アルト:駒ヶ嶺ゆかり テノール:畑 儀文 バリトン:中原 聡章
チェンバロ 高田 泰治
管 弦 楽 テレマン室内オーケストラ
合  唱 十勝バッハ合唱団
演  出 石田 昌志 監修
舞台監督 原田 博行
主  催 バッハ「ロ短調ミサ」帯広演奏会実行委員会/ 帯広市/ 帯広市教育委員会/
(財)帯広市民文化スポーツ振興財団
後  援 帯広合唱連盟/ 十勝毎日新聞社/ 北海道新聞帯広支社/ NHK帯広放送局
チ ラ シ バッハ「ロ短調ミサ」全曲演奏会 チラシ
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バッハ「ロ短調ミサ」全曲演奏会 出演者プロフィール

指揮者 作間 令子

広島県大竹市出身。東京芸術大学楽理科卒。十勝やまなみ合唱団の常任指揮者。 ピアニスト、指揮者として活動する傍ら独自の音楽教育を展開し多くの後輩を育てている。合唱指揮は1986年やまなみ合唱団で始め、毎年の定期演奏会、コンクールほか多くのステージでタクトをとっている。2000年初のピアノソロリサイタルを開く。同年3月十勝文化賞奨励賞を受賞、12月テレマン室内管弦楽団とのモーツァルト「レクイエム」帯広演奏会の指揮者に抜擢。2003年11月同じくテレマンとの古楽器によるヘンデルのオラトリオ「メサイア」全曲演奏を行う。門下生でピアニストの横山美里氏とのデュオコンサート(2003)、延原武春氏率いるテレマン室内管弦楽団とのハイドンとモーツァルトのピアノコンチェルトの共演(2006)、祝祭・国際モーツァルト2007ではヴァイオリンの日比浩一氏らとのピアノトリオの演奏、などピアニストとしても活発な活動を行っている。祝祭・国際モーツァルト2008では、テレマン管弦楽団とレクイエムを再演。2010年1月2度目のピアノソロリサイタルをオールバッハプログラムで開催。帯広市民劇場賞を受賞。


ソプラノ 幸田 浩子

東京藝術大学を首席で卒業。同大学院、及び文化庁オペラ研修所修了後、ボローニャ、ウィーンで研鑽を重ねる。
数々の国際コンクールで上位入賞し、研修後直ちにヨーロッパの主要歌劇場へ次々とデビュー。
カターニア・ベッリーニ大劇場『清教徒』エルヴィーラ、ローマ歌劇場『ホフマン物語』オランピア、シュトゥットガルト州立劇場『皇帝ティトの慈悲』セルヴィーリア等数々の舞台で主要な役を演じて活躍。
2000年名門ウィーン・フォルクスオーパーと専属契約。この間『後宮よりの逃走』、『ファルスタッフ』等に出演し、専属を離れてからも『魔笛』夜の女王等で客演。
国内では新国立劇場、二期会等の公演で『ホフマン物語』オランピア、『ばらの騎士』ゾフィー、『ナクソス島のアリアドネ』ツェルビネッタなど主役級を演じている。
その他NHK交響楽団をはじめ主要オーケストラとの共演や全国各地でのリサイタル、更にはミュージカル出演など多彩な活動を展開。最近では全国主要都市で開催されたウィーン・フィルのメンバーらによる“マスターズ・プレイヤーズ、ウィーン”公演や、CDでも度々共演を重ねている新イタリア合奏団のツアーに出演した。
メディアへの登場も数多く、NHKにてリサイタルの模様が度々放送されている他、2008年からはNHK-FM「気ままにクラシック」で笑福亭笑瓶氏とともにパーソナリティを務め好評を博している。
最新CDは、リスト「愛の夢 第3番」等が収められた≪天使の糧(パン)≫(DENON)。
2011年10月に東京、大阪・名古屋の主要三都市で、「カリヨン」の作曲者ベッペ・ドンギア氏を招いてのリサイタルが、また11月にはフランツ・リスト室内管現楽団の全国ツアーへの参加が予定されている。
第14回五島記念文化賞オペラ新人賞受賞。
第20回エクソンモービル音楽賞洋楽部門奨励賞受賞。
二期会会員


アルト 駒ヶ嶺ゆかり

北星学園女子高等学校音楽科を経て、札幌大谷短期大学音楽科卒業。 同学専攻科音楽・音楽研究科修了。 フィンランドに留学。舘野泉氏、マリア・ホロパイネン氏の許で研鑽を積む。
帰国後、『シベリウス・フェスティバル in JAPAN』『丹波の森国際音楽祭シューベルティアーデたんば‘05』、『オウルンサロ音楽祭in 兵庫』『北欧音楽祭すわ‘06』『森と水 そして月光の夕べ』(鶴岡)『音楽のかけはしコンサート』(山形)『東北の輝き・にっぽんの響き』(青森)南相馬市民文化会館主催『北のロマンを詩う』(原ノ町)に出演。‘06年 キリン・ワールドカップサッカーにてフィンランド国歌独唱。
帯広では、十勝やまなみ合唱団とモーツァルト「雀のミサ」、デュリュフレ「レクイエム」、ロッシーニ「小荘厳ミサ」、ヴィヴァルディ「グローリア」を共演。日本テレマン協会室内管弦楽団とは、モーツアルト「レクイエム」、ヘンデル「メサイヤ」を共演。‘04年‘08年‘11年に 作間令子氏とリサイタルを開催。
‘07年に『シベリウス歌曲全曲演奏会』(東京)シリーズ全8回のリサイタルを完遂。 ‘07年より札幌、東京、仙台にて『北欧の森 演奏会企画』をプロデュース。 ‘10年から道銀文化財団のサポートを受け、3年連続リサイタル『北海道を紡ぐ』を継続中。 ‘11年11月モスクワにて初めてのリサイタルを行なう。
‘06年 札幌市民芸術祭大賞受賞。 ‘09年 道銀文化財団芸術文化奨励賞受賞。同年、札幌文化奨励賞受賞。
日本シベリウス協会理事。北海道二期会、北海道国際音楽交流協会、北海道フィンランド協会 各会員。札幌国際大学人文学科講師。

日本シベリウス協会北海道支部「アイノラの窓」
NPO法人 北海道国際音楽交流協会(ハイメス) オフィシャルサイト


テノール 畑 儀文

兵庫県篠山市生まれ。大阪音楽大学大学院修了。同年、小林道夫の伴奏による初リサイタルを行う。以後ソリストとして、ペーター・ダム(ホルン)との共演、イエルク・デームス(ピアノ)との数多くのリサイタル等大きな成果を収めた。91年、オランダ アムステルダムにおいてマックス・ファン・エグモントのもとで研鑽を積み、以後オランダ各地で毎年受難週にはエヴァンゲリストとして招かれ、ドイツ、オーストリア等ヨーロッパ各地におけるリサイタルでも大きな反響を呼んでいる。

93〜99年にかけてシューベルト歌曲全曲演奏を成し遂げ、国内外で話題を集めた。99年9月からは新たなシリーズ「シューベルティアーデ」を展開中。近年日本コロンビアからCDデビューし、「日本の歌」「シクラメンのかほり〜新しい日本の歌」、シューベルト歌曲集「美しき水車小屋の娘」などを次々とリリースし、その天性の歌声はジャンルを問わず心に響く感動を呼び、注目を集めている。

「大阪文化祭本賞」「咲くやこの花賞」「大阪府民劇場奨励賞」「坂井時忠音楽賞」「兵庫県芸術奨励賞」等多数の賞を受賞。

現在、シューベルティアーデ・ジャパン代表。丹波の森国際音楽祭シューベルティアーデたんば総合プロデューサー。 平成19年度「兵庫県文化賞」受賞。


バリトン 中原 聡章

北海道教育大学大学院教科教育専攻音楽教育専修(声楽分野)修了。声楽を長内勲、野田廣志の各氏に師事。
札幌市民芸術祭新人音楽会、三岸好太郎美術館コンサート、Kitaraスプリングコンサート、Kitaraウィンターコンサートなど多くの演奏会に出演。ロシア声楽曲をレパートリーの中心とし、ショスタコーヴィチ、チャイコフスキー、ラフマニノフ、ムソルグスキーなどの作品を取り上げ、今までに3回のジョイントリサイタルを開催している。
オペラでは「エフゲニ・オネーギン」オネーギン、「カルメン」エスカミーリォ、「ドン・ジョヴァンニ」マゼット、「マルタ」プランケット等に出演。
また、バッハ「カンタータ」「マタイ受難曲」「ヨハネ受難曲」、ヘンデル「メサイア」、フォーレ「レクイエム」、ベートーヴェン「第九交響曲」などのソリストを務める他、ルネサンス・バロック時代の作品を中心とする声楽アンサンブルにも数多く出演している。
一方、2006年よりピアノ弾き語りのユニット「ときどき通信」を結成し、札幌を中心にライブ活動を展開。2010年さっぽろアートステージのクロスロードライブにてファイナリストに選出されるなど、ジャンルにとらわれない幅広い音楽活動を行っている。
現在、厚別混声合唱団指揮者。札幌音楽家協議会、日本及び国際コダーイ協会会員。札幌市立向陵中学校音楽科教諭。


チェンバロ 高田 泰治

チェンバロおよびフォルテピアノ奏者。2002年神戸新聞松方ホールにてテレマン室内オーケストラとともにピアノ、フォルテピアノ、チェンバロのそれぞれの協奏曲を一夜で演奏するという公演にてデビュー(同企画は好評を博したため2006年に大阪のいずみホールにて再演)。2005年にはチェンバロの中野振一郎とチェンバロ&フォルテピアノによるデュオを結成。
チェンバロのソロ活動としては2009年1月にはレマーゲン(ドイツ)においてチェンバロコンサートが開かれ、当地の新聞からも「素晴らしい音色を奏でた」「非常に幅広い技術を持っている」など高い評価を受けた。帰国後J.S.バッハの「ゴルトベルク変奏曲」を好演(大阪)。『高田は“古”楽器を媒介にしつつも、感情どころかルバートすら一切削ぎ落とし、新たなゴルトベルク観を切り拓いた』(「音楽の友」2009年5月号)と評価され、今までの古楽的な常識を破る新しい解釈の可能性を説得力のある演奏で示した。2009年9月には日本テレマン協会の定期演奏会(東京)にてオールJ.S.バッハプログラムを好演し「音楽的に心地よいその流れと、メリハリのある節回しは、高田の鋭いセンスを物語っていた」(「音楽の友」2009年11月号)という評を得た。2010年7月には日本テレマン協会の定期演奏会(東京)にてJ.S.バッハ「ゴルトベルク変奏曲」を好演。これらオールバッハの公演(東京)における演奏内容がバッハ研究の総本山「バッハ・アルヒーフ」(ライプツィヒ)に高く評価され、2011年5月に同団体の定期演奏会に招聘され、J.S.バッハ「パルティータ 第2番」「イギリス組曲 第2番」などを好演。鍵盤奏者としては日本人初の出演となった。また同公演での演奏曲目を収録し、10月にはナミレコードよりリリースされる予定。
フォルテピアノのソロ活動としては東京、京都、奈良の国立博物館におけるモーツァルト、ハイドン、J.C.バッハなどの作品の公演を皮切りに全国的な活動を展開。2009年には日本テレマン協会定期演奏会(大阪)にてベートーヴェン「ピアノ協奏曲 第2番」を好演。2010年にはNHK「クラシック倶楽部」にてモーツァルト作曲ピアノ協奏曲 第12番をフォルテピアノで好演し話題となる(現在放映中)。また同年4月よりモーツァルト作曲の一台のためのピアノ協奏曲全曲を3年のスパンで演奏するシリーズが開始され、全国的な注目を集めている。
現在は定期的にドイツへ赴き、チェンバロとフォルテピアノをC.ショルンスハイムに師事。ドイツと日本、両方を舞台に演奏拠点を拡大しつつある。


管弦楽 テレマン室内オーケストラ

1963年延原武春により創設された室内楽団。テレマン作曲「マタイ受難曲」、「ヨハネ受難曲」等数々の作品を本邦初演。主な受賞歴は、「大阪文化祭賞」、「音楽クリティッククラブ賞」、「大阪府民劇場賞」、「文化庁芸術祭優秀賞」(関西初)、「サントリー音楽賞」(関西初)等。
 1990年バロック・ヴァイオリンのサイモン・スタンデイジをミュージック・アドヴァイザーとし、バロック楽器(バロック時代の楽器及びレプリカ)による演奏を始める。以後モダン楽器とバロック楽器のそれぞれを併用しうる日本初の演奏団体として活動の場を広げ、2003年にはドイツのバッハ・アルヒーフから招聘を受け「バッハ フェスティバル inライプツィヒ2003」に出演。C.P.E.バッハのチェンバロ協奏曲Wq.1を世界初演した。
2006年からはクラシカル楽器(古典派の時代の楽器及びレプリカ)を手掛ける。2007年にはクラシカル楽器を使用してF.J.ハイドンのオラトリオ「四季」を好演し「大阪文化祭賞グランプリ」を受賞した。2008年にはクラシック楽器による「ベートーヴェン交響曲全曲&荘厳ミサ曲」を連続公演。2009年よりテレマン室内管弦楽団をあらため「テレマン室内オーケストラ」と改称。2011年よりコンサートミストレスは大谷史子。また浅井咲乃がソロコンサートミストレス、三谷彩佳がアシスタントコンサートミストレスを務める。


十勝バッハ合唱団についてはこちらから


バッハ「ロ短調ミサ」について

ヨハン・セバスチャン・バッハ(1685〜1750)は「音楽の父」とも呼ばれ、人類史上における偉大な作曲家である。自身敬虔なクリスチャンで「マタイ受難曲」「クリスマスオラトリオ」など、宗教曲の大作をいくつも書いている。
バッハの生きた時代のヨーロッパは「初期近世」と呼ばれる時代で、まだ「思想・信仰・言論の自由」は認められていなかった。カトリックとプロテスタントが激しく対立していたが、バッハの生まれたドイツのテューリンゲン地方は宗教改革発祥の地で、領主も領民もすべてルター派のプロテスタントに属しており、バッハ自身も生涯ルター派の信仰に忠実であった。
1717年にケーテンの宮廷楽長となり、さらに1723年ライプチヒの聖トマス教会のカントル(音楽専門の教職者)に転職し、ここでは聖歌隊を率いて毎週日曜日の礼拝のために週にひとつの割合でカンタータを作曲した。月火で作曲し水木で楽譜をそろえ金土で練習をして日曜日に本番という驚異的な作業が何年も続いた。ここで生み出されたカンタータは300曲近いといわれるが現存するものは200曲に満たない。
 バッハは晩年になって時代の大きな変化に取り残されつつあった。バロックという音楽の時代が終わって古典派という新しい時代が始まろうとする過渡期になって、バッハは次第にバロックの大家ではあるが時代遅れの音楽家とみられるようになる。
 このような状況の中で、晩年のバッハは自分が受け継いできたこれまでのヨーロッパ音楽のすべてを後世のために残さなければならないという思いにかられて行く。その結果「フーガの技法」や「音楽の捧げもの」といったそれまでの音楽史を総括するような作品が次々と生み出されて行く。そのためにバッハは改めてバロック以前の音楽の研究を開始する。ルネサンス音楽の代表者であるパレストリーナ(1525〜1594)のミサ曲を筆写して勉強したバッハはその対位法音楽の美しさに感動する。このような中からバッハ最後の作品である「ロ短調ミサ」が生まれた。
 ロ短調ミサは音楽家バッハの集大成であり彼の合唱作品の最高峰であるといえよう。