モーツアルト「レクエイム」演奏会までのあゆみ

1997年〜2000年

(1999年作成 「モツレク物語」より)


 それは1997年のある合唱団の演奏会後の打ち上げでのことでした。

 ほろ酔い気分で歌の話しをしている時、ある人が言いました。「…モツレク歌いたいね…」。モツレク?それって何?

始めて耳にする言葉でした。
「モーツアルトのレイクイムのことを、略してモツレクと呼ぶんだよ。」今時の若い人ならわかるけど、そうでもない方(?)から短縮された言葉を教えられて少々驚いたものです。周りにいた人達には、意味がわかっていたようでした。自分だけが知らないのか…恥ずかしいな…。…モツレクか…。
それにしても、なんか変は響きだな…。

 この合唱団に所属している人のほとんどが、合唱音楽を「つまみ」に酒が飲めるほど、「好き」を通り越しておりました。そのメンバーが「モツレク」を歌いたいというはどういうことなのか。話を聞けば、どうも難しい曲のようでした。そうか、これは、結構大変な歌なのだ…。

「そんなに歌いたいなら、歌おうよ…」無責任にも発破をかけたのですが、「…歌いたいけどね…。」と含みのある返事。オーケストラをバックに、ソリストは4名、合唱も難しいとのこと。「歌おうよ…」言うのは簡単ですが、これを企画するのは、どうも大変そう…。
 …そんな会話が、この十勝のある場所でかわされていたのでした。無責任にも「やろう、やろう」と言った手前、自分でCDを購入し、聴く日々が始まりました。

 そして、その後、「一生に1度、歌いたい歌が2曲ある…」という歌好きの人の話を聞きました。その1曲が「モツレク」だったのです。ここにもモツクレが好きな人がいた…。そこで
「誰かが企画してくれるのを待ってはいられない。自分達で企画するしかない!」ということになりました。漠然とした、つかみ所のない話ではありましたが、モツレクを帯広で歌いたい…1998年、気込みだけの「自称、モツレク実行委員会」がここに生まれたのです。

 たった4名のあくまで自称の「実行委員会」。どうすれば、実現するのか、何から手をつければいいのか、いったい予算はどの位かかのるのか、どこから予算をもらってくるのか…。出来上がった企画に乗って役員などを経験した人がいても、1から組織を立ち上げたことがない4人には、歌いたいという気持ちだけが膨れ上がり、集まれば、それぞれの思いを語るだけの時間が過ぎていました。
 とりあえず、できることから始めよう。あちこちに足を運んで、どんな補助金制度があるか調べました。「次に集まる時は、必ず1つはモツレクに関係した“おみやげ”を持ってこよう…」こんな形で、互いに宿題を出しながら、不定期に集まっていました。

 
合唱団は、どうしよう。新しく作るしかないね。いつにしよう・・・2000年の節目はどうだろう。練習期間は1年半は必要だね。オケはどうしよう…。いくつか当たって、結局、テレマン室内管弦楽団が見積もりを出してきました。我々にとっては恐れ多いほどの実力のあるオーケストラです。そして、指揮者は、どうしよう…。作間先生はどうだろう…。ご本人に話しを持ちかけました。
 返事は、きっぱり、
「…やりましょう…」
後に聞くところによると作間先生は高校時代、取り憑かれたようにモツレクに浸っていた時期があったそうです。

 これで決まりでした。
モツレクを歌えるかもしれない1998年クリスマスの頃でした。

 急にエンジンがかかりました。テレマンのスケジュールがあいている土日が、唯一、2000年の12月10日。これで日程は決定としました。オーケストラ、指揮者、日程が決まりました。合唱団はどうする?公募にしよう。難しい曲であることをちゃんとうたって公募しよう。合唱団の名前は「十勝アマデウス合唱団」はどうだろう。作間先生に話すと、「この名前の合唱団って、すごく上手が、すごく下手か、どっちかという感じね」とのコメント。でも、これに決まり。

 さて、公的に補助金等を申請するに当たって、きちんとした「組織」を作らなくてはいけません。そのためには、実行委員会の主意書、組織図、規約、予算案、等々、作らなくてはいけませんでした。1つ1つを文書にしました。いつまでも4人だけでは進めません。志しを同じくする仲間を募り、実行委員はおよそ20名となりました。組織を立ち上げた経験のある方のご指導も受けました。打ち合わせに次ぐ打ち合わせ。各駅停車からいきなり新幹線に乗り換えたかのような勢いで、忙しい日々が続きました。そして、やっと、正式な「モツレク実行委員会」が発足しました。
 合唱連盟にもこの主旨を伝えました。検討していただいた結果、後援という形をとっていただけることになりました。「十勝文化協会」、「市民オペラの会」、「帯広モーツアルト協会」、等々、関係団体へも協力を依頼いたしました。やまなみ合唱団にも、この企画を理解していただき、合唱団丸ごと参加するというお返事をいただきました。ソリストはどうするか。指揮者を含めて検討し、4名のソリストからOKをいただきました。本当に大忙しでした。

 正式名称“モーツアルト「レクイエム」帯広演奏会実行委員会”。水面に顔を出せたのが、1999年5月15日。「実行委員会設立総会」の日です。…我々のつかみ所のない夢が、形を成していました。新聞で記事をご覧になった方も多いと思います。それまでの道のりは、長く、何の保証もないものでした。「歌いたいから、自分達で企画しようよ…」それが、我々の原点であり、ここまでこられたエネルギー源だったのです。本当に、歌えそうだよ…、やっとそう思えました。

 これまでのように、気楽に夢を語ってはいられません。組織として、部会を作りました。総務部会。ここは、オケやソリストの交渉、対外的に市や、道などと交渉する部会です。財務部会。その名の通り、予算を生み出すために奮闘する実行委員会の大蔵省です。渉外部会。ここは、PR部門。合唱団員の募集のチラシを作成し、配布してくれたのがここの部会です。演奏会のポスター、チケットなどを作ったり、新聞社などメディアとの対応もしてくれます。そして、合唱部会。ここは、まさに、合唱団を運営する場所です。皆さんからの申込み用紙を受け取った部会です。どこで、どうやって練習するのか、指揮者と打ち合わせをしたりします。

現在、実行委員が約20名集まっています。各部会に分かれて、業務分担をして、演奏会の実現のため、努力しております。総会、役員会、実行委員会など、「会議」が続きます。会議はあまり得意ではないのですが、夢を実現させるためには、現実問題を解決していかなければなりません。1つ1つ、初めての経験をクリアーしている最中です。

 団員を公募するりあたり、まずは、チラシを作ることにしました。経費削減、個人のパソコンで作りました。いつ、公募を開始しようか…。そうだ、合唱祭にしよう。そして、みなさんの手に届けられたのです。作ったチラシが5000枚です。500ではないですよ。公募は、こうして始まりました。新聞にも掲載されました。応募用紙が届くたび、みなさんの応募動機を拝見するたび、我々は、この企画をしてよかったと思いました。モツレクを歌いたいと思う気持ちを、分かち合える人達がこんなにいるのですから。遠くから来てくださる方もいます。合唱経験のない方もいます。それぞれ、この曲への思いを託していただきました。ありがとうございました。

歌いたい人、集まれ!!…やっとここまで企画したんだよ…。我々の思いは、チラシに載せて届いたでしょうか…。

 この企画は、あくまで民間レベルで出発しています。1から自分達で動いた手作りです。もちろん、市や道へも働きかけをしておりますが、アクションを起こすのは、あくまでこちらからです。みなさんから団費をいただくこともご理解いただきたいと思います。決して利益を追求する団体ではありませんので…。

 我々実行委員も全員合唱団に入り練習します。一緒に歌います。同時に、この企画が成功するよう、これからも「会議」が続きます。演奏会が終わって、打ち上げが終わるまで、頑張りますよ!!

 今日、結団式にお集まりいただいたすべての方にとって、この企画が、それぞれに価値あるものになっていただけるよう、心から祈っております。そのために、実行委員一同、努力していくつもりでおります。至らない点もあろうかと思いますが、お気づきの点は、なんなりとお申しつけください。

 「裏方」というものは、光が当たらない場所にあり、お見せする必要もないのです。でも、今回は、どういう経緯でこの企画が生まれたのか、この実行委員会は、どんな素性のものなのか、あえて、自己紹介させていただきました。実は、「誰が企画しているの?」とよく耳にしたのです。…これで我々の身元が明らかになったでしょうか?

 ここまでが1年と半年。これはホントの「モツレク物語」
これからは、2000年12月10日の感動的な瞬間へ向けて、皆さんと一緒に、1枚1枚原稿用紙を埋めていき
ましょう。
                         


この「モツレク物語」は、モーツアルト「レクイエム」帯広演奏会に向けて結成した
「十勝アマデウス合唱団」の結団式にて、実行委員会から団員へ配られたものです

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