第10号より

薮木慎平さん(ベース&編集長)  「記念すべき?第10号」

 突然任された(部下のいない)新聞編集長。新聞製作の経験など無く、WORD(ワープロソフト)の本を読みあさり、試行錯誤しているうちに早10号になりました。

 ごく一部から好評のこの「モツレクさんぽみち」。「はたしてみんな読んでくれているのかな?」と思うほど、あまり反響がないのが少し淋しいですが、ここまでこれたのも、みなさんが快く原稿を書いてくださったお蔭であります。また、第6号から濱田総務部会長よりデジカメを貸していただきました。この場を借りてお礼申し上げます。

 時々掲載しましたが、みなさま団員の声を大募集しています。所属している合唱団のこと、自分の練習法、モツレクの練習について思ったことなど何でも結構です(字数は特に制限ありません)。お忙しいとは思いますが、そうしたことにより、団員同士の情報交換になったり、交流が深まっていければいいなあと思っています。あと、取り上げてほしい記事やこの新聞についての感想などありましたら、気軽に声をかけて下さい。

 現在、十勝でも田植えが始まり、畑作農家は播種作業に忙しいので、当然自分の仕事も忙しくなってきました。今までのように毎週スイスイと発行することはできなくなるかもしれませんが、できるだけ発行していきたいと思いますのでこれからもよろしくお願いします。







第6号より

薮木慎平さん(ベース&編集長)  「編集人の ぼ・や・き」

 連日雨が降ったり,雪が降ったり、もううんざりです。
 先日の大雨によって足寄の小麦が10haほど冠水してしまいました。早く融雪して、雪腐(ゆきぐされ)病だけは避けたいものです。また、低温によりハウスの中のビート苗も元気がありません。




第19号より

小貫 耕喜さん(ベース)     「20世紀のレクイエム」   
 
 僕が毎週練習に持っていくモーツアルト・レクイエムの楽譜にはこんな思い出があります。
 
 1960年と言うから、40年前になります。その頃僕は函館学芸大学(現在の函館教育大学)の学生でした。人文地理などを専攻していましたが、体育科の学生に混じり柔道や剣道、スキーの実習をとったり、美術科に行っては実習させてもらったりと自分の興味関心にまかせ、いろいろ勉強させてもらいました。
 
 クラブではヨット部に籍をおき、小樽の祝津で行われる定期戦に備え練習したりアルバイトをしたり学生時代を存分に謳歌していた、貧しかったけれど思い出多い日々でした。 その中のひとつに音楽科の定期演奏会で、その年モーツアルトの「レクイエム」の取り組みを聞き、参加させてもらった時の楽譜なのです。まだ日本では「レクイエム」の楽譜が発行されていなかったのか、解説がドイツ語で書かれているものでした。
 
 指導には、芸術大学を出たての根本先生(助手)が熱心に、厳しく指導して下さり、音楽科の学生に混じり必死に練習した記憶があります。中間にはパート一人ずつ4人で第1のAllegroの部分をテストされたこともありました。 年月の経過の中で、歌ったのは学生時代の1度だけでしたが、今まで何度となく聞いてはいたのですが、練習に取り組み出し、楽譜を見ても当時印象深かかった数曲以外まったく忘れてしまっていた事に気が付き、新たな気持ちで取り組んでいます。
 
 今年は20世紀最後の年です。今世紀人類にとって飛躍的な科学の進歩とともに戦争、殺戮、破壊、飢餓、貧困、人や国のエゴなどパンドラの箱をひっくり返した世紀であったようにも思うのです。来月は55年目の広島、長崎、終戦記念が巡ってきます。       
 今世紀、歴史の中で翻弄され、死に追いやられた多くの罪なき人々への「レクイエム」として僕は歌いたいと思っているのです。歌詞の意味を考え、心をこめて歌うためには,先ずは練習 練習と言うところでしょう。


第20号より

 橋本 紀子さん(ソプラノ)    「合唱を始めてから…」

  皆さんこんばんは、ソプラノの橋本紀子です。 実は5月の練習中に、レクイエムの中で一度も歌っていない曲があったことに気づきました!「まっまずい」と思い、今は作間先生の視線にびくつき、おどおどしながらも、必死に歌っています。こんな私ですが、皆さんの足手まといならない様、頑張ります。12月まで、よろしくお願いいたします。
 
 私の合唱の始まりは、一昨年・秋の「やまなみ合唱団」への入団でした。「社会人になったら、合唱をやりたい」という夢がかなったのですが、いざ練習となると…さぼりぐせがでてしまっていました。でも最近は、うまくなりたいという思いと危機感があふれてきています。一人で練習する時の場所は、自宅または愛車の中。特に車の中では夢中になってしまうのですが、対向車が通る時は少し躊躇してしまいます。歌っている時の顔、きっと変なんだろうな。そう、そうです。練習の時先生から、よく、口を縦に開くようにと教わりますが、これが今の目標です。先生がみんなに向かって注意する時、必ず自分も縦に開いてない。歌っている時の写真やビデオを見ても、自分だけ今にもよだれが出てしまいそうなだらしない口なのです。丸い顔を面長にするつもりでいきます。

 最近はまだまだ暑いですね。食品会社に勤めているので、食中毒がとっても気になるところです。合唱をやってる皆さんはきっと体力もりもりでしょうから、ちょっとくらい大丈夫かな(私だけ)?夏ばてしない様、歌います。


第24号より

味呑 涼さん(ソプラノ)    「たとえ骨折しようとも…」

私がモツレクの話を聞いたのは昨年の今頃だったでしょうか。そば屋をする傍ら、合唱は好きでやめられずにいましたが、混声をそろそろ終わりにしようかと思っていたとき、植地さんに、「やめるなら最後にいい曲を歌って終わりにしようよ」と誘っていただき、モツレクに参加させていただくことになりました。店ではなかなか練習できず、車の中でカセットテープを聴いたり、お客さんのいない時間に曲を流しながら洗い物をしたりしていますが、なかなか覚えられず、せめて練習だけは欠かさず出ようと頑張ってきました。

5月にそば屋を帯広から芽室へ移し、その準備やオープンで忙しい中、92歳になる父の家へ朝御飯の仕度へ通い、練習へ行こうとした魔の6月20日、家を出た途端つまづき、痛みはあったもののそのまま練習へと向かった夜。次の日病院で骨折と診断されるという、なんとも忙しく、とぼけた私です。歳とともに硬くなりつつある頭は、暗譜するのもひと苦労ですが、これからも練習は休まず、演奏会では満足できるように頑張りたいと思います。素晴らしい曲との出合いに感激の思いです。

最後に、私の夢はエルミタージュ美術館へ行きたいという夢です。そば屋と合唱、そして夢と共にこれからも頑張ります。

第25・26号より

飯塚 公男さん(ベース)    「清水町の『第九』について」
 「モツレク散歩道」から『清水町の第九』についての原稿依頼があり、少々戸惑いました。同じ12月に「レクイエム」と「歓喜の合唱」が、帯広と清水町で演奏会が持たれることの共通点を勝手に思い込んでいます。帯広十勝には、この二つの合唱ができるすごい土壌とそれを歌う人たちがいることに合唱の裾野の広がりとレベルの高さを感じています。 
 合唱の楽しさは、多くの人と共に苦労しながら心を一つにして歌うことができる喜びにあると思います。苦しみが多ければ多いほど充実感も多くなり次の活動に結びついていく原動力になると思います。1980年12月7日(日)、清水町文化会館こけら落としに演奏したベートーベン作曲第九交響曲「合唱」の演奏会は、本場ドイツでも清水町のような小さな町での演奏はないという。ほとんどが素人ばかりの合唱団が歌った“第九”は、不安と緊張の連続。第一楽章からオーケストラの楽員と一緒にステージに立つ、天井から光と熱が束
になって容赦なくわが身を照らし、興奮の汗は背中を流れる。足の裏は曲の進行と共に感覚が薄れ、足を踏み変えようとすれば隣人を押すことになるので仕方なく我慢する。足が根に張り付き動かす意思もなくシラーの言葉をカタカナドイツ語で歌う、「人々よ愛せよ、互いに抱き合え」「全世界の人々よこの口づけを受けよ」と喜びに歌を顔中口にしてドイツ語気分で歌っていた。
 初めて目にするドイツ語に戸惑い意味不明のままでカタカナ発音の練習が続く。慣れてきたところに日本語の“ばびぶべぼ”に当たる濁点つきドイツ語O,U(ウムラウト)という非常に難しい発音練習、食べ物を吐き出すようにしてドイツ語らしく練習を繰り返す。カタカナドイツ語に慣れる頃には、「ザーィトウームシュルーンゲン」と言い、隣と抱き合うジェスチャーも生まれ和やかな練習が続いた。指揮を終えた大町陽一郎さんは、「合唱を聴いてプロのソリストの1人が、ポロポロ涙をこぼした。プロは素人が努力しただけでは泣かないものだが、この合唱団には、それを越える何かがあった。こんな振りがいのある“第九”は久しぶりだ」の談話は、プロからいただいた評価として私たちの財産になっています。喜びの主題が繰り返され、息づまるような高まりのうちに曲が終わる。会場からは感動の感謝とも受け取れる拍手が鳴り響く、控室では健闘したことを賞賛しあう輪がいくつも見られた。 素人の合唱団を指導してこられた高橋亮仁先生に感謝あるのみです。
高橋先生(せせらぎ合唱団主宰)は、昨年9月交通事故に遭い、意識不明になりましたが奇跡的な回復をされて、20世紀最後の“第九演奏会”に向けて合唱指導をされています。12月3日清水町文化会館大ホールで午後2時からの開演、「生きる喜びを分かち合おう」をメインテーマにしての“第九交響楽”演奏会(5回目になります)は、札幌交響楽団、指揮者円光寺雅彦、ソプラノ福成紀美子、アルト伊原直子、テノール下野昇、バス高橋伸仁、そして清水町第九合唱団です。カタカナからドイツ語らしい第九に変身をした演奏会にしたいと思っています。

 12月の「レクイエム」本番を成功させるために頑張りましょう。演奏会の打ち上げが楽しくなります。