第3号より (2000年2月15日発行)     

村越英男さん(ベース)   「君、休み給うことなかれ」              

 年が明けたと思ったら、もう二月も半ば過ぎ、早くも本番まで十ケ月ばかりになつてしまった。年月の経過の早さが近頃やたらに気にかかる。若かったとき(数年前)は時間はもっとゆったりと過ぎていたはずだった。毎日を無為に過こしながらも“明日があるのさ””明日こそ”と未来に希望をつないでいたつもりで生きてきた。その明日さえ待ち遠しいほどであった。 ところが、今は、あれこれの雑事に追われ、毎日があっという間に過ぎて、小生自身の終着駅が目前に迫ってくるように思わる。やらねばならぬこと、やり残したことどもがあまりにも多すぎる。日暮れて道いよいよ遠しの思いである。

 昨年、合唱団発足のおり、年の割には老獪な実力者たちの口車に乗せられて、ついふらふらと「団長」とやらに祭り上げられてしまった。元来音楽的素養はゼロに近く、イ調もロ調もハ調も区別できない、真面目だけがとりえの単調な小生が、あまりある年の数だけ神輿に乗ったようなものだから、担ぐほうも担がれるほうも肩が凝るのは当然かもしれない。
 2年近くもあるから何とかなるべえさ・・・とボケの楽天気分で練習に参加してきたものだったが、今頃になってモツレクがとんでもない難曲なのだったと実感している始末。誠に情けない話である。

 楽譜のお音符と歌詞が離れすぎている。歌詞のローマ字が小さすぎる。一人でこっそりぼやいたり、ようやく覚えたつもりでも1週間たったらすっかり忘れてしまう己の記憶力の乏しさに、人知れず涙を流しているような昨今なのであった。そんな時、ちょっと妬ましく、腹立たしい思いもあるが、いつも勇気付け励ましてくれるのは、そうです“貴兄”なのです。我が合唱団は多士済済、貴兄のようなベテランが何人いてくれるので本当に助かる。”兄貴”がいてくれると、内気な小生でも安心して馬鹿声が出せ、結果的に指揮者の先生から罵声や叱責をあびることも少なくなり、厳しい練習であっても充実した思いで帰りのハンドルが軽くなるのである。

 先日、機会があって歌留多取りの名人(私がそう思っただけで本人が名乗ったわけでではない)と対戦した。名人は、すでに5〜6合は飲んでいて体がだいぶ揺れていたようだったが、それでも自分の札はもちろん、私の札まで片っ端から取ってしまったのだった。そんなに急いでいるようには見えないのだが、読まれてからキョロキョロ探し回って、ようやく私が手を出すと、いつの間にかスルッと名人の手が私の手の下に潜り込んでいるのだった。名人は、読み手の息づかいから、次の読み札を読み取ってしまうらしい。これでは到底小生ごとき善良な人間が太刀打ちできるはずがない。私はつくづく勝負の世界の厳しさと、修練の恐ろしさを知ったのだったが、考えてみると歌の練習では、私なりにその呼吸法を実践しているのではないかと、苦笑したものであった。

 音程確かで、馬鹿でかい声の持ち主が周囲にいると、安心して声も出せるし、バテレンの意味不明な歌詞だって、舌をかみながらなんとか歌えられそうな気がする。ささやかな願いで恐縮なのだが、いつも”兄貴”のようなベテランが小生のそばにいて、練習のたびに右耳から右脳を、左耳から左脳を正しい音程で刺激し、同時に後頭部にも強い風圧をかけて欲しいのだ。そうしたらいずれ私だって歌留多取りの名人のように、”兄貴”の歌う前に呼吸を読みとって胸張って歌えるようになるに違いない。
 
 この合唱団は、小生のような小心者の含めて180名もいるのだから、全体のレベルアップのためにも、是非ベテランの”兄貴・姉貴”そう、アナタにもう一肌脱いで欲しいのです。本番まであと10ヶ月。今世紀最後の、そして最大の演奏会を、最高の感動で迎えよう。私を含めて団員のすべてが健勝を祈りながらメッセージを送ります。


第7号より(2000年4月25日発行)

蝶野千秋さん(ベース)    「鬼!? いや天女様です」

 ある練習の日、優しい作間先生が恐ろしく見えました。先生と視線が合うのを避けようと、持っている譜面をいつもより高く上げました。苦手な授業中に当てられないように、教科書で先生の視線を遮るあの行為です。何故って、すべて自分が悪いのです。用があって2週間連続で休んでしまい、予習もしないでそのまま練習に行ったものですから、無力な私が初見で歌えるわけがありません。
 「ベースさんしっかりして!!」と先生の叱咤の声も飛んできました。後ろの仲間の声を頼りにしようと考えて、いつもの最前列に席をとっているものですから、このような時は、身の隠しようもないのです。
 身の縮む思いをしました。この日々のことを深く反省しまして、以降はしっかりと予習をしていくことにしています。充分予習をしていいった時は、作間先生は、私を心地よい世界に導いてくださる天女様に見えてくるんです。

 天女様!! 12月までどうぞよろしくお願いします。



第12号より(2000年6月13日発行

桑原昌−さん(テナー) 

 私がモツレクを歌ったのは、もう10年前のことで、当時札幌の「いずみ混声合唱団」に所属していた。
 この合唱団は小笠原という指揮者が中心となり、中島中学校の音楽クラブから続いている伝統あるサークルである。その団の運営は、楽しみな行事があり、夏には張碓(はりうす)に海水浴に行ったり、登山をしたり、冬には温泉に泊まって騒いだものです。
 練習は北大の南側にあるクリスチャンセンターで、週2回練習がありました。先日音更のヴォイスブーケの温泉行きがあり、同室になった植地さんと色々話していると、いずみでも上手な「川上伸一郎」を植地さんも知っているとのことで、川上さんは税務署の職員ながら、副指揮者もでさる優秀なテナーなのです。


  いずみのことはこれ位にして、1991年9月、教文会館で演奏されたときのプログラムを見ると、大きく「創立35周年記念」と表紙に書いてある。第1部はオペラ「フイガロの結婚」よりとなって、レクイエムに出演するソリスト4人が中心となり、6幕が演じられました。第2部がレクイエムで、小笠原さんが九州から引き連れてきたコーラス部員も入り、総勢110人で合唱しました。ソリストのアルトを歌う大友さんは、殆ど日本に滞在せず、殆どウィーンで暮らしているそうです。いずみで歌っていてプロになったわけです。使っている私の楽譜を見ると、為になる注書きがあります。
 No,6コンフターチスの3小節maledictisのdiはdeと発音し口を横に開かないようにと注書きしてあり、その右ページの欄外には,テナーの姿勢として「貴公子のように、ハイソサイティの気分で歌え」と書いてあります。No,7ラクリモーザの8小節のところに、「ここで絶命」と注記してあります。小笠原さんは歌に鋭気がないと、「それで歌を楽しんでるのかい。笑顔で楽しく歌いなさい。」と常に云つていたが、これからも楽しく歌ってゆきたいです。





第15号より (2000年7月4日発行)  

佐藤アイさん(ソプラノ)   「恐怖の(?)「お仕置き部屋行き」

 我が夫佐藤哲雄は、「狂」がつくクラッシックファン。特にバッハとモーツアルトの。常々、一生のうちで一度でいいからバッハの「マタイ受難曲」やモーツアルトの「レクイエム」を歌えたらいいのになと、うわごとのように言っておりました。
 数年前、芽室町で「やまなみ合唱団」の25周年記念コンサートを聴きましたが、その折、プログラムの最後に「プッチーニのミサ曲」が演奏されました。その歌声に聴き惚れながら、もしかして、この指揮者の方(作間先生のこと)はこの方面(宗教音楽)に精通した方なのではないかと思ったのです。
 そこに、この「レクイエム」の話です。夫は飛びつきました。私は最初から彼を運ぶ「美人運転手」に徹しようと思ったのですが、「運び屋だけではつまらない。末席でもいいから歌っちゃえ」という訳で私も参加したのです。
 往きの1時間半は、テープを掛けっぱなしの練習時間。毎日時間に追われて十分に練習できない(やろうとしない?)私にとっては貴重な練習時間です。
 帰りは夫婦で反省会。初めの頃、作間先生の歌うような「入り」の合図「はい、どうぞ!」の響きがなんとも面白く、我が家で流行しました。最近は「今日、私、お仕置き部屋よ」。小グループ練習が始まったとき、どうやるんだろう、一人で歌わされたらどうしようと心配したものです。「あごを引いて」「しゃくるんじゃない!」「気持ちの悪い歌い方をするな!」と、指示の言葉が恐いことは恐いですが、なんとも小気味よく、最近では先生の内面的な味わいに感じられて、「お仕置き部屋行き」もまた楽しませていただいております。
 このあとは、一心に練習あるのみです。こんな私ですが、みなさんどうぞよろしくお願い致します。



第15号より (2000年7月4日発行) 

佐藤哲雄さん(ベース)    「私は控えめなのですが・・・」

 「さんぽみち」第11号を開いて驚きました。私たちのことが出ていたからです。しかも「最遠距離参加者」という有り難い称号付きで。私はもともといたって控えめな性格で、アピール度の低い人間なのですが、何の巡り合わせか、近頃しっかりと目立ってしまいます。
 下の写真は元旦の「十勝毎日新聞」の「モツレク特集」に載ったもので、このときも「広尾から夫婦で参加している」ということで取り上げられたらしいのです。(思い返してみると、5年前の「清水の第九」のときも、同じ理由で「勝毎」に載ってしまいました。その後、「新聞でみたよ」とか「おまえに似合わない、大それたことをやっているね」とか喧しこと喧しいこと。でも、おかげで私としては「退路」を断たれ、これだけ知られたからには恥ずかしいことはできない、腰を据えてしっかり取り組まねばという思いになりました。その結果、自分でも意外だったのですが、この3月いっぱいで暗譜(怪しいところは数々ありますが)ができてしまったのです。
 現在は、お手本のカール・リヒター盤のレコードに合わせて、「コンフターティス」「クムサンクティス」などの難所を息切れずに歌うには、どのように息を継ぐかを課題に練習しています。もう一つ、これは難しいことですが、リーダーの植地さんがよくおしゃっているように「私頑張って歌っています、ではモーツアルトにはならない」と思いますので、どんな難所でもさりげなく軽やかに、しかし深く歌えるように「精進」を重ねたいと思います。

 それにしても、今さらながら、この「レクイエム」はすごい曲ですね。歌えば歌うほど、その「すごさ」が身に迫ってきます。モーツアルト自身の筆になる部分はいうまでもありませんが、これまで、弟子の手による補作で「格が落ちる」ときかされていた後半も、どうしてどうして、「ドミネイェズ」にしろ「オスティアス」にしろ歌い映えする感動的な名曲です。それを発見できたことが、この合唱団に加わって活動できた大きな収穫の一つです。