天国の榎木さんに我々の歌声が届くように・・・


「榎木冨士夫の詞によるプーランクの五つの歌」について

 プーランク(1899〜1963)は「合唱曲の神様」とも言われ,美しい合唱作品が数多くあります。このことは以前から作間先生もよくご存知で、機会があればいつかやりたい、と思いつつもどうにもならないネックがありました。それは[フランス語の歌詞]です。英語の歌詞でさえ満足に言えないのにフランス語なんてとんでもない、と先生が思われるのも無理からぬことです。
 さて、以前やまなみでサンサーンスの「動物のカーニバル」をやったとき、詩人の榎木冨士夫さんという方の作詞の力量に感心しました。単に作詞するだけでなく、音の高低に合わせた日本語を実に巧みに選んでいらっしやるのです。そこでピンと来ました。この人ならプーランクの歌に目木語で詞を書いてくれるかもしれない。不躾とは思いましたが、取り敢えず手紙を書きました。一週間ほどして返事が来て、やってみましょうと言って下さいました。98年の夏のことです。もともとの詞(フランス人の詩人)の著作権を調べたそうですが、とても権利にうるさい出版社なので、詞の訳はせずに榎木さんの全くの創作にするそうです。選曲はプーランクの「七つの歌」と「ある雪の夜」という、ふたつの有名な曲集から作間先生が五つ厳選しました。

 それからずっと連絡がなく、どうなってるのかなあ、と思っていた所、99年の12月に漸く完成したと連絡があり、受け取りに上京しました。彼は癌との闘病生活で入退院を繰り返しており、それでなかなか筆が進まなかったそうです。お会いした日も「明日からまた入院です」とのことでした。初めてお会いした榎木さんは60代半ばですが、長身を黒いコートに包み、乃木将軍のような顎髭をたくわえ、山高帽にステッキと、新宿の雑踏の中でそこだけ別世界のようなそれはダンディーな紳士でした。「この仕事はとても気に入っているので、出来
れば全曲作って出版したい」とおっしゃいました。そして、やさしい笑顔で「あとどれくらい生きられるかな」とも・・・・・。
 頂いた作品は想像をはるかに超える素晴らしいものでした。作間先生もとても喜んで下さいました。全曲出版の暁にはきっと巻頭挨拶文の中でやまなみ合唱団に触れてくれることでしょう。確かに音取りも含めてとても難しい曲ですが、歌えるようになったときには充実感で満たされるでしょう。来年の定期演奏会で歌うことが出来たなら、是非榎木さんをご招待したいと思います。 やまなみの仲間と一緒に素晴らしい作品に出会い、そして歌うことができることに感謝しつつ・・・・・。  

その後・・・

 やまなみ合唱団では2000年9月の十勝秋の合唱祭で5曲のうち3曲を演奏しました。とにかく詩がすばらしく、大変芸術性の高い作品になっていることに一同大満足で歌いました。しかし何とも残念なことに10月22日、とうとう榎木さんの訃報に接することになってしまいました。

  11月1日、お茶の水スクエアヴォーリーズホールにて「榎木冨士夫さんを送る会」が催され、奥様が主宰される東京少年少女合唱隊が演奏された追悼演奏曲の中に、我々の委嘱した曲の中からご本人が最も気に入っておられたという「悲しみよこんにちは」が入っていました。大変温かい式であった、ということでした。 やまなみ合唱団では2001年春の合唱祭において残る2曲を含む3曲を演奏、そして2001年10月6日の第23回定期演奏会で5曲全曲演奏しました。

 プーランクの原曲の難しさはもとより、このすばらしい日本語の内容を音楽的に高度に表現することは、もともと実力不足の我々には困難を極めることではありますが、天国の榎木さんに我々の歌声が届くように、これからもこの曲を大切にし、一生懸命歌いたい、と思っています。                  

BACK